「結」(むすひ)は、墨田区向島の、築約100年の長屋「フルハウス」を主な拠点に、色々な「ひとものこと」を結び、産み出そうという営みです。

コンセプト

「シンプルライフ」

どんな便利な世の中でも、複雑化した社会でも、色んな無駄をそぎ落として‘よく生きる’のに必要な要素だけをギュッと絞りこめば、「食べること」「音楽」「踊り」(スポーツも含める)、そして人や世界との「つながり」、それくらいシンプルになるんじゃないかな? そんな思いがあります。シンプルライフは、スリムで小さいけれど、中身のつまったおいしい生活のこと。

それから「シンプルライフ」は、なるべ生活中に起こるモノゴトのプロセス全てが見渡せるような生活のことでもあります。手間や手数を減らすのではなく、自分が目の届く、理解できる、ダイレクトに感じられることをする。そんな感じ。便利さを否定はしないけれど、それによって隠されている部分ももっと知っていけたら。そんな思いがこのコンセプトの根っこにあります。

「ルーツアート」

ルーツといっても懐古主義的なものではなく、自らのルーツを探求し、今の自分立ち位置を定め、そして自ら次の世代のルーツになっていくような、そんな表現/行為を、ルーツアートと呼んでいます。

アートや表現、芸能の世界では、歴史の中で分断され、失われてしまったように見える、日本の、アジアの、そして世界の様々なルーツが力強く息づいていることがよくあります。失われつつあるそうした文化を見つめ直し、今を考え、未来をイメージし、次の世代に贈る世界を創るのに、アートが果たす役割は大きそうです。

rootには「根」という意味もあります。大地に深く根を張るような、そして「草の根」のように、誰もが表現し、つながっていくアート・場でありたいという意味もこめて。

さらにさらに、アートの語源は「技術」であり「学び」という意味もあります。「結」は学びの場でもありたいなぁと思います。

「みのりの祭」

「ハレ(非日常)とケ(日常)」という言葉があります。生の営みはこの、非日常と日常が繰り返すことによるダイナミズムによって営まれています。‘非日常’の種は‘日常’の中にあり、発芽し、育ち、果実になります。果実はまた種を孕み、次のサイクルが始まる。この繰り返し。

「ハレ」と「ケ」とでは、同じ「種」でもその本質/目的/機能が自ずと異なります。例えば日常の食事では、体や環境に負担をかけずに、健康な体や環境を維持することが一番の目的になるでしょう。対して、非日常の食事では、心の開放や次のフェーズの「ケ」のための種を産み出すことなどが目的となります。日常の無い、豪華な外食ばかりの生活は、体や環境への負担も非常に大きいものになります。「ハレ」が無いままに小さな日常のみを繰り返しては、新しい「種」が生まれません。

「シンプルライフ」が、より日常的な行為を目指す、「ハレとケ」の「ケ」に相当するのに対して、‘アート’(中でも技とセンスを磨き、高度に洗練されたもの)は、その字のごとく「ハレ」(の日)にふさわしいと言うことができるのでしょう。「ハレ」と「ケ」は相互補完的で、決してどちらかだけでは成り立たず、両者のバランスこそが本質です。

「みのりの祭」は、何かコトを起こすときに、この「ハレとケ」の考えを踏まえて、日常と、成果やイベントを作っていこうというコンセプトを「祭」本来のあり方になぞらえて表した言葉です。

人が出会い(種が蒔かれ)、響き合う琴線を見つけ出し(発芽し)、日常の営みの中に交流が生まれ、そこから恊働が生まれ(育ち)、そしてそれらがハレの日(イベント等)として結実し(実り)、また新たな出会いが生まれる。そんな円を描く手助けができたらと思います。

「里屋」

里山は、集落と、人の手の入らない神聖な山との間にある、人々が管理し、維持する山のことです。また、「里」には人の出入りが多いところという意味があるようです。自然と人との接点になり、人が集まり、集まった人達によって維持し、育てていく そんな場のことを里屋と名付けてみました。

墨田区の古い(築約100年)長屋「フルハウス」を改装して、アート展やワークョップの会場等、交流の場として使ってもらっています。今は不定期公開ですが、今後定期的・継続的にパブリックな場「里屋」としてオープンしていけるように構想中。

里屋は概念ですから、当然フルハウス一つではないし、場合場合によって呼び方も様々です。つまり全国各地に、里屋はあるに違いないということです。「結」では、各地にある里屋だなぁと思える場や活動と繋がっていきたいと考えています。

「ネットワーク」

人と人が里屋でつながり、そこで生まれた繋がりがまた別のコミュニティにつながっていく。そんなネットワークづくりを模索中です。

個の専門化、特殊能力化が進み様々な分野のノウハウ/知識が飛躍的に進歩しています。それは素晴らしいことです。しかし裏を返すとそれは、競争/ビジネス主義とセットになった断片化/孤立化であり、個が大きなシステムのモジュールに組み込まれることでしか機能しないという状況になっていることも意味します。「結」では(個々の専門性の追求の重要性は認めつつ)、どちらかというと関連性を重視します。

個々人の自由な活動や、小さなワークショップの成果が記憶※(蓄積)され、関連づけられることで神経網が作られていきます。さらに、里屋同士がつながることで、大きな神経網になります。それは大きな智慧とも呼べるものです。会社組織のような、先に目的や理念があって、それに合わせて個々の(社員としての)人格を育成するのとは丁度逆の考えです。日本の伝統的な考え方である「和」とも通じるものかもしれません。ここでは専門性と関連性のバランスが重要となります。

具体的には、交流企画(展示やパフォーマンス)や、互いにこれまでの映像記録などを紹介しあったり、スタッフが気軽にネットワークの里屋を相互行き来できるような仕組みづくりなどを企画しています。

※個々の知を形成するために「結」では記録とその発信を重視します。

「カフェ大学」

現在、主に‘食’に関わることを扱っている「おむすひ」が中心となって、大阪中崎町の古民家再生カフェ「天人」のJUN氏らが構想している「カフェ大学」への参加を準備中です。詳細はお待ちください。